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珍しく書籍の話です。
誰しも学校で習う本能寺の変。明智光秀が謀反を興して主君である織田信長を倒した事件です。でもそれが単なる謀反ではないのかも!
僕はソフトウェア関連の会社を経営している関係上、週末にはソフトウェアの技術書や経営関連の本を読むことが多い。その合間に気晴らしにいろいろな本を読み漁る。この連休の気晴らしの書籍は歴史書。それも『本能寺の変』。
歴史の世界は不思議です。信長にしても本能寺で倒れた後、子孫な根絶やしにされたはずなのに、それでも現代にスケートの織田信成選手という子孫がいます。明智光秀も同様、子孫な豊臣秀吉によって根絶やしにされたはずなのですが、どっこい子孫は生きてました!
明智憲三郎さん、現在52歳。光秀の子孫です。本能寺の変で謀反人扱いされてから、生き残った氏族は明智姓を明田姓に変えて生き延びていたそうです。明治に入ってから、家系図を基に明智姓への複姓を申請し認められたとのこと。
その明智憲三郎さんが謀反人という先祖の汚名を晴らすべく、永年に渡って調査した結果が今年3月、出版されました。『本能寺の変 四二七年目の真実』という書籍です(プレジデント社)。
この書籍によれば、織田信長は徳川家康を本能寺で暗殺する予定で、それを家来である明智光秀に指示していた。しかし、光秀は自分の私利私欲ではない”やむを得ないある理由”(詳細は書籍にて!)があって家康と手を結び、逆に信長を欺いて討つことにした。そして信長を討って家康の援軍を待っている間に、中国道から脱兎のごとく戻ってきた秀吉に討たれてしまった。家康は間に合わなかった。
こんな仰天ストーリーを古文書の証拠を一つ一つ紹介しながら解いて行きます。息もつかせぬ書籍で、あっという間に300ページ近い長文を読み切ってしまいました。
もしかしたら来年くらいから歴史の教科書が書き換わるかもしれません。凄いことです...
という矢先から『信長暗殺は光秀にあらず』なんて書籍が6月末に出版されました。謎は深いです...
技術書で疲れた頭に心地よい刺激を受けました! さ、寝るか~
先日のベリンジャー・ナイトでスブラジア氏から、300年に亘る家系図を遡ってついに家紋を探し当てた!、って話を聞いて感動した。当夜のメニューの表紙に付いてた黒字に赤のマーク。その話をしながら僕のルーツの話をスブラジア氏にして二人で盛り上がった。
僕にはポルトガルの血が流れているらしい。祖父の祖父がポルトガルと日本のハーフだったようだ。つまりは、僕には1/32、ポルトガルの血が流れてる。
1年半くらい前、祖父の弟が亡くなった際に「自分には1/8、ポルトガルの血が流れてる!」と言い残したことから始まったこのポルトガル騒動。僕の祖父の代、親の代も大半が亡くなってしまっているので調査はそう簡単ではないけど、数少ない親族の老人たちに聞くと子供の頃にそういう話を聞いたことがあると言う。
それ以来、ポルトガルという地が気になって気になってしかたなく、いろいろな本を読んだ。今月は『ポルトガルの風』という本を読んだ。日本大学の先生が1996年、ご夫婦で1年間、ポルトガルに留学した際のエッセイ。素朴なポルトガルの実像が飾り気のない文章で書かれていて楽しい。益々行ってみたくなるな~
そんなポルトガルが昼も夜も頭から離れない日々を過ごす中で、都内にポルトガル料理専門のレストランがあるのをネットで発見した! もう居ても立ってもいられず、遅い時間だったけどすぐにその店に向かった。
この『マヌエル コジーニャ・ポルトゲーザ』という店、渋谷の中心からかなり離れた松涛の住宅街の中にある。どうせ混んじゃいないだろうとタカをくくって予約もしないで行ったらこれが超満員! 日本にポルトガル料理が好きな人っているんだ!! 超ビックリです。入口脇の端っこ、料理を出すための補助台のような机に無理やり座らせてもらった。
まずはポルトガルの夏の風物詩とも言える爽やかなアルコール度数の低い白ワイン「ヴィーニョ・ヴェルデ」をグラスで一杯。もうこういったワインが喉ごし良く美味しく感じられる季節になりました~
そして本命のワイン選び! これがマイッた! ポルトガルワインを侮るなかれ。なんと、かなりの量のワインリストが... 聞いたことがあるのはシャトー・ラフィット・ロートシルトがポルトガルで造る『キンタ・ド・カルモ』というワイン1つだけ。
ポルトガルは北部と南部でかなりワイン事情が違う。北部は甘い食後酒「ポート酒」の産地として有名。その周辺で通常のスティル・ワインも造ってる。南部はわりと新興勢力。
ポルトガルの首都・リスボンにはテージョ川という大河が東から西に向かって流れてる。その川の下側(南東側)を「アレンテージョ」と呼ぶ。ポルトガル語で”テージョ川の向こう側”という意味。シャトー・ラフィット・ロートシルトがワイナリーを造ったのもこのアレンテージョ地域。そんなのもあって、今夜はアレンテージョのワインを飲むことにした。アレンテージョだけでも10数種類のワインがリストされてる。
お店の方にアドバイスをいただき、ポルトガルでいま話題の造り手、ジョアン・ポルトガル・ラモスの造る『ヴィラ・サンタ』というワインを開けた。ポルトガルのワインは地元のブドウ品種を多用するから、構成されるブドウを聞いても知らない種類が多い。このヴィラ・サンタはアラゴネス、トリンカデイラ、アリカンテ・ブーシェ、カベルネ・ソーヴィニヨンから造られてるそうです。アラゴネスはスペインで言うテンプラニーリョ。トリンカデイラとアリカンテ・ブーシェはたぶん地元品種。
ギュッと果実味が詰まった凝縮感の高いワイン。南仏・ローヌ地方のグルナッシュを使ったワイン、スペインの南部のワインなどに近い感じ。とても美味しい!
ポルトガルの食の名物は、バカリャウを使った料理。バカリャウとは、干し鱈のこと。まあ干物だね。で、日本なら干物は焼くだけだけど、ポルトガルではこれをいろいろと調理する。今夜最初に食べたのは、バカリャウのコロッケ。バカリャウの身を細かくしてコロッケの具として入れたもの。サクッとして、そして海の香りがしてとっても美味しい。
そしてバカリャウを土鍋でトマトやポテトといっしょに煮込んだ料理が出た。ホームページのメニューで見ると「バカリャウとお野菜の土鍋煮」となってる。ブイヤベースのような感じの食べ物。これまた海の香が素敵な美味しいお料理。ワインとの組合わせは最高!
メインには牛肉の赤ワイン煮が出た。ネットでメニューを確認する限り、「牛肉の赤ワイン煮 アソーレス風」というものだと思う。アソーレスとはポルトガル本土から遥か彼方の大西洋上に浮かぶアソーレス諸島のこと。ポルトガルの観光案内の本には必ず出てくる島。なぜか日本とはつながりが深く、アジサイ、椿、ツツジ、杉の木などが日本から伝わったと言われてる。この話も不思議だし、我が家のルールを探るという観点からもいろいろ気になるよね~
最後に鴨のご飯というものが出てきた。スペインのパエリアのような感じで、これまたとっても美味しい。コースで食べたんだけど、こんな素敵なコースでなんと3,800円だった! 素晴らしいコストパフォーマンス!
素敵なポルトガル家庭料理を食べ、素敵なポルトガルワインを飲み、益々ポルトガルに行きたくなった夜でした。
僕のルーツはどんななんだろう? 5代前に来日して我が片山家の創始者となったポルトガル人の家系はポルトガル国内で今も生き残っているんだろうか?
本当にポルトガルが恋しくなった夜でした。
前に紹介した作家・ヘミングウェイをお酒という観点から分析した面白い本『ヘミングウェイの酒』に出てたんだけど、ヘミングウェイは処女長編作「日はまた昇る」にスペインのブランデーというものをふんだんに登場させてるんだって。その話を読んで飲んでみたくなって調達したのがこのブランデー。
『レイ・ルイス・フェリペ』。このブランデーは1893年にラ・パルマ・デル・コンダードにあるボデガから発見されたフランス国王ルイ・フィリップⅠ世の息子であるモンパンシエ公爵のためにリザーブされていたブランデーをベースに、ソレラシステムで60年以上長期熟成されたブランデーを毎年限定で生産している。干しぶどうのような甘みと誘惑系の香りを持つ素晴らしいブランデー。フランスのブランデーとはまったく違う世界がある。世界は広いな~
今夜は初物尽くしの夜。食前酒代りにドイツのピノ・ノアールを開けた。数年前にドイツフェアで買った。ドイツと言うと甘めの白ワインがイメージされるけど、最近は冷涼な気候を利用してブルゴーニュ風のピノを使った赤ワイン造りに力を入れている。リーデル社の中くらいのブルゴーニュ型グラスで飲んでみた。ブルゴーニュのピノのような鉄分や血や獣の香りもかすかにある。でも大ぶりのグラスに鼻を入れた時に上がってくる匂い立つ感じはなく、香りは穏やか。喉を通過する際に若干の甘みを感じる。色はエンジ色。茶褐色。何かに似てると思い、ずっと考えていた。そう、熟成の進んだシェリーのアモンティリャードにとっても似ている。味わいも香りも。食前酒として軽いおつまみと飲むには中々いい感じ。
続いて今夜のメインは、木曜日に飲んだ粋な若手経営者から贈られた南アフリカのワイン。僕の南アフリカ初体験。南アフリカにはピノタージュという独特のぶどうがある。今夜のワインはそのピノタージュを使ったワイン。ピノタージュはこの南アフリカの地で1924年、ステレンボッシュ大学農学部のアブラハム・ペロルド教授がピノ・ノワールとハーミテージュ(サンソー)を交配して造った品種。現地では「南アフリカピノタージュ協会」というこのぶどうの普及のための団体もあるらしい。
ワイナリーは南アフリカではもっとも歴史があり1685年創設のグルート・コンスタンシア(GROOT CONSTANTIA)。ケープタウンから喜望峰へ向かって南下すると、途中にコンスタンシア地区という古いワイン生産地域があり、その中でも歴史ある農園が、このグルート・コンスタンシア。17世紀の政治家シモン・ファン・デル・ステル縁の農園で、彼が使ったレセプションルームは当時のままの様子を見ることができるらしい。
ワインはカリフォルニアは最南部のサンタバーバラの強いピノ・ノアールに似てるかな。かなり強く、かつ、酸の裏に独特の甘みもある。甘ったるいわけではなく、喉の奥で感じる甘み。イタリアの陰干しぶどうを使ったアマローネなどにも通じる甘みかな。鶏のトマト煮込みと合わせたけど、いい感じ!
今日はちょうど本を読んでいたら南アフリカにまつわる事が出ていた。今度またゆっくり紹介するけど、「そこに日本人がいた! ~海を渡ったご先祖様たち~」という書籍。幕末~明治にかけて海外に飛び出していって活躍した人たちの歴史を綴った本なんだけど、その第1章がまさに南アフリカの話。時は幕末、1865年(慶応元年)に徳川幕府のロシアへの使節団が立ち寄ったのが日本人として最初に南アフリカの地を踏んだ記録。そしてそれに続くのが、少し時間は経つが1898年(明治31年)。古谷駒平という若者が28歳の若者が妻を連れて乗り込み、日本の雑貨を売る店を立ち上げずいぶんと大きく展開したらしい。今から110年も前の事。半年もかけて日本から辿り着いたようだ。本当にすごい!
ちなみにこのグルート・コンスタンシアというワイナリーが出来た当時の南アフリカは、この本からすると、どうやら未開の地にオランダ人が入植したばかりの頃と思われる。18世紀末になるとイギリスが入植し主導権は変わった。たぶんここはオランダ人が立ち上げたワイナリーなんだろうな~
1685年からのワイナリー創設323年もの歴史、そして日本人が初めて足を踏み入れてから143年、日本人が最初に住み着いてから110年、その歴史を感じながらこのワインを楽しんだ。今夜は3つの初物、ドイツのピノ・ノアール、南アフリカのワイン、そしてピノタージュというぶどう、これをじっくりと味わった夜だ。たしか2010年には南アフリカでサッカーのワールドカップが開かれる。益々ワインもメジャーになるかな~ 歴史とワイン、切っても切れない関係。深いなあ・・・ そして僕に南アフリカ&ピノタージュ初体験をもたらしてくれた彼に感謝です。
この本は、「ワインと言えばフランス」と今でも思っている人、そしてカリフォルニアワインをあまり飲んだことのない人にぜひ読んでもらいたい本です。
まだフランス以外のワインはまったく評価されていなかった1976年、歴史的な出来事が起きた。パリの地でフランスワインとカリフォルニアワインをブラインドテイスティングして評価しようというイベントだ。アメリカ建国200周年を記念したこのイベント、フランスのワイン界やマスコミからはまったく相手にされず、当日取材に来たマスコミはただ一人、タイム誌のパリ支局特派員、ジョージ・テイバーだけだった。その彼自身による執筆。2006年にこの歴史的なイベントから30年経った事を記念して再度フランス vs. カリフォルニアのブラインドテイスティングが催されたが、それを記念しての出版。
日本版の副題は「カリフォルニア・ワイン vs. フランス・ワイン」、帯には「カリフォルニア・ワインがフランスを破った日」とたいそうに仰々しく書かれているけど、この本の本質はその勝負にあるんじゃない。1950~1970年代、まだワインの未開の地であったナパ・バレーでワイナリーを苦労して立上げた面々の歴史を丹念に拾い上げてまとめているところに価値がある。ユーゴスラビアから何ヶ月もの苦難の旅を続けてナパ・バレーに辿り着いた移民のマイク・ガーギッチなど、数名の苦労人が主役。
ガーギッチはこの本の主題である1976年のイベントで白ワインの部でフランスを破ったシャトー・モンテレーナの醸造責任者になってこのワイナリーを世界に送り出した。そして今では自分のワイナリー、ガイギッチヒルズを主宰している。85才になってもまだ血気盛んにワイン造りに励んでいるらしい。彼の生まれ故郷クロアチア(当時はユーゴスラビアの支配下)では実はワイン造りが盛んだった。貧困な国クロアチアを脱して西ドイツを目指した彼はそこでビザが切れて難民となり、そこから苦心の末に9日間の船旅を経てカナダに上陸し、そこからさらにまた苦難の道を経て計8ヶ月もの時をかけてナパ・バレーまで辿り着いた苦労人。これを読むとシャトー・モンテレーナ、ガーギッチヒルズともにおいそれと気軽には飲めないなと思う。マイク・ガーギッチの苦難を読むとほんと、心して飲まないと! 我が家にもわずかなストックがあるけど、しばらくは保管かな。
その昔、アメリカの大手ソフト会社でベリタスって会社があった(現在は買収されてシマンテック社)。ここの経営陣が大のワイン好きで、毎年クリスマスの頃に世界中の取引先にベリタスブランドのワインを日ごろの取引きの御礼に配っていた。毎年、違うワイナリーから調達したワインのエチケットの上にベリタスブランドのエチケットを上から貼っていた。僕のその当時ベリタス社と取引きがあったので毎年そのワインをもらってたんだけど、ある年のベリタスワインがあまりに旨く、エチケットを注意深くはがしワイナリーをチェックした。それがガーギッチヒルズだった。これが僕の初めての『ガーギッチ体験』。熟れた果実の凝縮感に圧倒された記憶がある。
この『パリスの審判』から10年後の1986年にはニューヨークの試飲会で、そして時を経て2006年に開かれた30年ぶりの対決でも、やはりカリフォルニア・ワインはフランスを破った。勝ったこと自体はどうでもいいんだけど、どっちが上とかではなく、カリフォルニアには美味しいワインがたくさんある事を知ってもらえると嬉しいな~ 飯山ユリさんが「カリフォルニアワイン as ナンバーワン」という本を書いているけど、深く掘り下げるとカリフォルニアには本当に美味しいワインが実にたくさんある。僕は2001年~2002年、友達とカリフォルニアワインをメインにしたレストラン経営に手を染めた事があるんだけど、まだその当時の日本ではカリフォルニアワインの地位はあまり高くなかった。そんな中で本当に美味しいカリフォルニアワインを日本に紹介したのは僕たちのレストランだったって自負がある。いつかは再開したな~
という事で、ワイン好きな方、ぜひこのドキュメンタリー本、ご一読あれ!
PS. 速報ですが、この本が映画になったようです。『Bottle Shock』という映画。
YouTube にアップされている予告編(こっちの方がサクサク見れます)
昨年の秋、じいちゃんの弟が亡くなった。98才。90才を超えてから再婚してた。葬儀で初めて聞いたんだけど、明治時代のおっちゃんのパワーにはビックリ! でもその葬儀の日からもっとビックリすることが続々と・・・
僕のじいちゃんは長男。今回亡くなった弟が98才という事でもわかるように、じいちゃん含めもうほとんど兄弟は生き残ってない。で、前々から親族の間では、我が一族には江戸末期にポルトガルの血が入ったって噂があったんだけど、どうやらこれが本当っぽいんだよね~・・・
じいちゃんの弟が死ぬ間際、「自分にはポルトガルの血が1/8入っている!」って言ったそうだ。慌てていま、いろいろ調べてる。現時点では、幕末の頃、ポルトガル人の宣教師と日本人の女の人がいっしょになったのが我が一族の起点って説が有望。怪しい部分もいろいろあるけどね。で、じいちゃんが1/8の血ってことは、じいちゃんのじいちゃんがポルトガル人と日本人のハーフだった、ってことになる。そしてじいちゃんを1/8とすると孫である僕はなんとも1/64。でもそう言われてみるとじいちゃんの兄弟やその直接の子供に鍵鼻でどうみても欧州人って顔の人が何人もいた。それなりに確度の高い話かもね。
気になって仕方ないのでお正月に「南蛮医アルメイダ ~戦国日本を生きぬいたポルトガル人~」(柏書房刊)って本を読んだ。1550年代、なんと今から450年以上も前の日本にポルトガル人はやってきた。第1陣のフランシスコ・ザビエルは信長に面会してワイン(たぶん今で言うポート酒)を献上して一杯やったらしい。これが「日本で一番最初にワインを飲んだ人は信長!」と歴史クイズで言われる由縁。その直後に第2陣としてアルメイダは来日した。
このアルメイダは450年も前の時代に、当時の戦乱の世の中で大分県辺りを支配していた大名・大友宗麟の信頼を得て、大分県内に日本で最初の病院を造った。これはすごい事です! 部屋(入院病棟)は内科、外科、癩病(今のハンセン氏病)の3つに別れ、外科では銃弾に倒れた患者の外科手術も行われていたらしい。日本での外科的手術はこれが初めてと思われる。その後の秀吉のキリシタン禁止令でかなり活動は停滞したようだけど、450年も前の時代に南は鹿児島から西は京都まで精力的に動き回って活動したすごいポルトガル人がいたことに感動するばかり・・・ ぜひこの本、皆さんにも機会があったら読んでみて欲しいな~ 450年を経ても人間の欲望や行動に変わりはない事がよく解る。そして電話やインターネットといった通信手段がないにもかかわらず、かなり詳細な情報のやり取りが書簡で日本とポルトガルの間で交わされているのが超不思議。船だってしょっちゅう難破してた時代だからね。
で、この450年前のポルトガル人が我が一族の先祖なのかどうか、それが気になるところなんだけど、よくわからない。つ~か、まったくもってトレースのしようがないかな・・・ ま、そのうち歳取ったら時代考証の調査でもやろうっと! いずれにせよ、先日も「歴史の重み」としてブログに書いたけど、僕たちの日々の活動に比べれば何万倍も密度の濃い命がけの時代を生きた人たちがいたってこと、これは感動するよね~~ 人生観が変わる。
この週末、「老人と海」、「日はまた昇る」、「誰がために鐘は鳴る」などで有名な偉大なる作家「ヘミングウェイ」に関する書籍を読んだ。って言ってもそんなに固い書物じゃない。ヘミングウェイは死ぬまでお酒を寵愛した。どの作品にもカクテルとかがさりげなく出てくる。そのヘミングウェイの作品の中に出てきたお酒をエッセイ風にまとめたのがオキ・シローさんの本作『ヘミングウェイの酒』(河出書房新社刊)。
オキ・シローさんはお酒にまつわる短編が得意な作家。ちょっと前までANAの機内誌に毎月1つのカクテルをテーマに数ページの短編ラブストーリーを連載していて、僕は出張の傍らにそれを読むのが大好きだった。
さて、そのヘミングウェイ、酒の中でも死ぬまでこだわったのがジン。それも英国製のゴードンのジンにこだわった。著作の中でも『ミスター・ゴードン』とか『ミスター・ゴードン・ジン』などと呼んでいる。そして強烈な解釈として、「身体の内部の傷にも外傷にもよくきき、傷を軽くし、痛みを麻痺させる」とまで述べているそうです。う~ん、健康診断で僕の数字に文句を言う医者に読ませたいなあ~
そんな記述を読んでしまうと飲まないわけにはいかない! 僕は遠い昔はジンと言えばゴードンを飲んでいた。でもここ数年は名門タンカレーが古来の製法で造ったというプレミアムジン「タンカレー No.10」にハマっていてそればっかりだった。慌ててゴードン・ジンを買いに酒屋に行った。昔懐かしいラベルは少しリニューアルされてしまったけど、いまも変わらずゴードンは売っている。でもその横で、初めて見る普通のゴードンよりちょっとだけ高いプレミアムジンを見つけた! 「ゴードン・スペシャルドライジン」となってる。通常のゴードンのアルコール度数は40度。それに対してこのプレミアムジンは37.5度。ヘミングウェイに敬意を表するにはスタンダードなゴードンを買わないとならないんだけど、どうしてもこの珍しいプレミアムジンが飲みたくなった。
というわけで、この「ゴードン・スペシャルドライジン」を買ってきて、ヴェルモットはノイリー・プラットを使ってマティーニを創ってみた。かなり柔らかでスムースな味わい。自分で創っておきながら、とっても美味しい! でもヘミングウェイが寵愛したミスター・ゴードンは40度なんだろうな~ なんて事を思いながらいま手元でもう一度この本のいくつかのページをめくってます。1話数ページのショートショートなので何かの空き時間いサラッと読めます。本とお酒のお好きな方にはお薦めの本です。
お酒にも人生にもこだわって生きていきたいね!(あ、十分もうこだわった人生か!?)
お正月休みにたくさんの歴史書を読んだ。その1つがこの本「F.ベアト写真集〈1〉幕末日本の風景と人びと」(明石書店刊)。日本がまだチョンマゲを結って刀をぶる下げていたこの時代に、写真家として日本に来日し、数々の歴史的瞬間を記録している。まだ日本にはもちろん写真なんてなかった時代。
ベアトはヴェネチア生まれのイギリス人。1854~1856年のクリミア戦争を従軍カメラマンとして取材し貴重な写真を残して頭角を現した。そもそも今から150年以上も前の時代にそんな戦争に記録を写真で残していたって事がもうビックリだよね!
そして1861年頃、日本へ来たらしい。日本は黒船が到来して開国・討幕へ向け時代が大きく動いていた時代。長州藩が無謀にも下関海峡で英国艦隊などと戦ってボコボコにされた下関戦争の状況もベアトは写真に残している。このベアトが下関戦争など含め、日本で過ごした幕末の状況をたくさん写真に残しており、これを横浜開港資料館が刊行したのがこの写真集。詳細な歴史的な解説が付いている。解説自体もその時代に書かれたものをそのまま記載しており、それを横浜開港資料館側で加筆・訂正等している。続編の第2巻も買った。
しかしこれを読むと人生観が変わる。150年前と今、時代は大きく違う。当時は電気もガスも電話もコンピュータもない。今は何でも便利に揃っている。でも、人のやる事ってそれほど変わってない事がよく解る。当時だっていろいろ政治は考えながらやっているし、勉学もある。道路はもう舗装路という概念が出てきていてベアトの写真にも舗装された道がいくつも写っている。事業を立上げようという人もたくさんいて、海外にアクションしようとしてる人もたくさんいた。ここ数年、幕末の改革記を読む事が多い。坂本竜馬の活動もトレースしてみたりした。何かさ、こういう歴史の変革期を見ていると、僕らの日々の仕事の中での戦いなんてちっぽけなもんだな~とつくづく思う。もっと大きな視点で人生を考えていかないとならないんだろうな~
いつの時代も時代を変える人ってすごいパワーを持っている。僕もそういう人に少しでも近付けるよう、自分自身を鍛えていきたい。歴史書は、ついつい日々の生活の中でちっちゃな人間になりがちな自分の気持ちを奮い立たせてくれる。
ちなみに来年、2009年は横浜開港150周年だそうだ。1859年、安政の五カ国条約に基づいて開港したらしい。歴史の重みってすごい。一度この資料館に行ってみようと思う。